【第2回】私のスタートライン――簿記2級と、厳しい部長と、地方事業所の日々

キャリアストーリー
【第2回】私のスタートライン――簿記2級と、厳しい部長と、地方事業所の日々

「この環境では、何をどう頑張っても届かない」

そう感じたことが、ありませんか。

私にはありました。何度も。

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2回の転職――逃げではなく、場所を選ぶ行為

1社目、2社目でも、一生懸命働きました。

1社目は一般事務。2社目も一般事務でしたが、少しだけ経理も担当しました。現金出納、銀行業務、売掛金管理です。本社が東京にあり、地方の事業所では簡単な経理で事足りていました。

でも、どこか「自分の力を本当に使えていない」という感覚が拭えませんでした。努力が報われない、というより、努力する方向が合っていない感覚とでも言うのでしょうか。じわじわと積み重なる閉塞感の中で、私は2社目を辞める決断をしました。

簿記2級を取った理由

2社目を辞めた時、私はこう思いました。

「また事務をやるなら、武器を持って行こう」

そこで取り組んだのが、簿記の勉強でした。2社目で少し経理に触れていたこともあり、「数字の仕事をもっとちゃんとやれるようになりたい」という気持ちがありました。失業給付を受けながら、ハローワークの職業訓練で3級を取得。その後、民間スクールに通って2級まで取りました。転職の空白期間を、自分への投資に充てた時間でした。

転職は逃げではなく、自分を試す場所を選ぶ行為。そしてその間に、自分を磨くこともできる。今思えば、あの時の選択が、後のキャリアの大きな土台になりました。

3社目――希望とは違う配属先で

簿記2級を手に、3社目の就活では本社の経理職を希望しました。

でも、地元での本社採用はなかなか叶わず、最終的に落ち着いたのは地方の事業所でした。「希望通りじゃなかった」という気持ちが、正直なかったといえば嘘になります。

でも、この事業所での仕事には、ある嬉しい発見がありました。

月次決算書を作成できる、事務員として採用してもらえたのです。

受発注の処理、電話対応、書類の管理に加えて、月次決算書の作成。簿記2級を取って臨んだからこそ、担当できた仕事でした。「希望通りではなかったけれど、ここでなら力を出せる」そう感じた3社目の始まりでした。

今思えば――本社経理を希望して、地方事業所に落ち着いて、それでも月次決算書を作れた。その全部がつながって、最終的に本社転勤も、役員就任も実現した。結果オーライ、どころか、全部必要な道のりだったんだと思っています。

厳しい経理部長が、私の土台を作った

3社目に入社して、私のキャリアに大きな影響を与えた人物がいます。

本社の経理部長です。

この部長は、売掛金管理に対して非常に厳しい方でした。当時、コンピューターが使えたのは本社と一部の事業所だけ。私の事業所は全て手作業で、売掛金管理表も毎月手書きで作成し、本社に提出していました。

提出すると、必ずと言っていいほど経理部長から問い合わせの電話がかかってきました。

「この未回収分は、いつ回収できるのか」

その電話が来るたびに、ドキドキしていました。でも今振り返ると、あのドキドキが私を鍛えてくれました。数字に対して曖昧にしない。未回収を放置しない。一件一件に向き合う。それが当たり前になっていったのは、あの部長の厳しさがあったからです。

残念ながら、その部長は社長と折り合わず、ご自身の意に反する形で退社されました。

部長が去った後に見えた、売掛金管理の重要性

部長が辞められた後、本社の経理はどうなったか。

売掛金管理が、ほぼ皆無になりました。

それを目の当たりにして、私は改めて実感しました。あの部長がいかに会社を支えていたか。そして、売掛金管理がいかに会社の根幹に関わるものかを。

部長が去られた後、ようやく事業所にもコンピューターが導入されて業務は楽になりました。でも、楽になった分だけ、「管理する意識」を持ち続けることの大切さも、より強く感じるようになりました。

私の3社目のキャリアの土台は、あの経理部長にあると今でも思っています。厳しくても、数字に誠実だった、あの背中から学んだことは計り知れません。


「考えすぎ」と言われても疑問を持ち続けた癖と、厳しい部長から叩き込まれた数字への誠実さ。この2つが、私のキャリアの原点です。

あなたにも、今の仕事の中に、気づいていない原点があるかもしれません。


次回は、私が実践してきた具体的な仕事術をご紹介します。「やりきる力」「縁の下の戦略家」「売掛金管理の徹底」――特別なスキルは不要です。コツコツ続けることで、確実に変化をもたらしてくれた仕事術です。


執筆者:中小企業 元一般事務員・元役員


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